松林の始まり



寛文7年


まだ荒地であった高田の浜に、6200本の松が植栽されました。


これが高田松原の始まりです。






松原が無い頃の高田は災害による被害が多く


作物が全滅してしまう年もあったそうです。






そこで仙台藩の奉行 山崎平田左衛門の命のもと


高田の豪商 菅野杢之助と村人たちが協力し


費用を出しあって作業を行いました。







しかし海に面した砂地という悪条件から


約6200本中3000本程度しか根づかず


残りは枯れてしまいました。







そこで杢之助は、次の年から自費で職人を雇い入れ


災害に強いクロマツを中心に植栽を行いました。


それから長い時間をかけて1万8千本の松苗を植えました。






杢之助は、松の成長を見守る前にこの世を去ってしまったのですが


その後、松は杢之助の子孫たちにより管理され


美しい松原へと成長していきました。











後に松坂新右衛門は


高田松原の西側、気仙川沿いにある新田開拓地で


頭を悩ませていました。







浜風による砂の吹き付け、雨季の増水等による塩水の侵入など


多くの天災のせいで


作物がまともに育たなかったのです。







そんな時、新右衛門は


杢之助の育てた松林の話を聞きました。







そしてそれを見習い


新右衛門は父の十兵衛と共に松の植栽を始めたのです。







しかし初めは上手くいかず


多くの松が枯れてしまいました。






それでも力強く残った一部の松に勇気づけられながら植栽を続けました。






そしてとても長い年月をかけ、数千本の松を育成したのです。









菅野杢之助と松坂新右衛門


私たちは、二人の偉人が残した功績を


決して忘れてはなりません。


そして、高田の浜にもう一度美しい松原を蘇らせるため


これからも努力を続けていきます。


※)使用している写真は、高田松原を守る会様より頂いた震災前の陸前高田市のものです。